2018年12月6日木曜日

孔子と老子

日本語の文章への飢餓感があり、キンドルで日本語の本をいろいろと読み始めています。むかし友人が勧めてくれた「老子」を蜂屋邦夫氏訳で、「孔子」の論語を金谷治氏訳で読みました。レビューを参考にしましたがどちらも岩波文庫です。

孔子を読んだというのは正確ではなく、途中でギブアップしました。論理展開が理解できないのです。なぜ、仁(愛情)や礼(礼儀)が大事なのか?はっきりしない。孔子やその弟子が発した言葉だから重要だと思わされているようでなりません。

一方、老子はスッキリと読了しました。天地を創造した道が廃れたから、仁義が説かれるようになった。知恵が働くから虚偽が行われ、家族が不和だから孝行が重要視され、国家が混乱してから忠臣が現れた。老子は仁や礼は二義的なものだと言います。

Source) Google Images


特に、老子が知恵に信頼を寄せることを嫌っている点が興味深いです。君主が知識のある者を登用するから過度の競争が生まれる。知識は国を治める重要な要素ではない。老子は競争的社会よりも、自給自足型社会を勧めているようです。

また、老子はテクノロジーについても否定的です。僕が大学院で学んだことに経済成長の源泉の一つは技術進歩ということがありますが、僕も行き過ぎた技術進歩に懐疑的です。テクノロジーは生活を便利にしますけれども、人々を幸せにするのでしょうか?

老子曰く、優れた士は、掴みどころがなく、何事にも通じており、人の深さは計り知れない。僕の解釈では、名君や聖人というものは民衆に統治されているという実感をもたせず、のびのびと安心して暮らせるような環境を調える人物達だということです。

孔子は形式ばかりを気にしているように思えますが、老子は幸せな社会とは何かという本質を突いているように思います。上善如水。日本酒ではありませんよ。水のように低い姿勢で柔らかく生きることが重要だという老子の教えに惹かれています。

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